画像提供:東海新報社

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高田松原を知る

白砂青松高田松原は大地とそれを取り巻く大気や水・海水。
そして、人々の多様な取り組みで育まれてきました。

高田の砂浜はこうして生まれました。

山や里に降った雨水は、蒸発したり大地に浸透したり、動植物に利用されたり、地表水や地下水となって海岸へ向かって流れ河口付近に堆積し三角州を形成します。
やがて海から運ばれてくる岩石、土砂、粘土等が砂浜を形成していきます。
この大地は、潮風、高潮、飛砂等の被害が多く、食料の安定生産や生活環境には至難な土地でした。
しかし、急峻な山々に囲まれた当地域、気仙地方は海岸平野の利活用が大変重要な課題でした。
事実、立神浜と呼ばれた昔の高田松原は潮風が絶えず砂塵が吹き上げ、耕地は埋没荒廃し、作物が収穫皆無の年もしばしばありました。
画像出典:国土地理院ウェブサイト
(https://kochizu.gsi.go.jp/items/340?from=category,10,index-map)

高田の松林は
二人の偉人が中心となって植林されました。

江戸時代の高田の豪商、菅野杢之助(左写真:菅野杢之助翁の頌徳碑)は父とともに商売を発展させ、開墾などをして農地を増やしていましたが、この立神浜の近くの農地はおもわく通りにはいきませんでした。
寛文6年、仙台藩の奉行が高田村に来たおり、村民の願いでもあった立神浜の防風造林を杢之助に言い渡しました。
杢之助は松の植林二年目から資材を投じて人夫を雇い入れクロマツを中心に丁寧に植林をおこない植え付け始めて七年間で、松苗約18,000本を植林しました。
その後、享保年間に気仙川河口の沼地を農地として開拓した松坂新右衛門(右写真:松坂新右衛門翁の顕彰碑)も高田村の植林事業を見習い、苦労を重ねて数千本の松の育成を成し遂げました。

名勝高田松原として高い評価を受けました。

こうして陸前高田は二人の偉人が成し遂げた偉業のおかげもあり、三陸の海がもたらす豊かな自然を背景に長い時間をかけて地域文化が育まれそれらが重なり合いながら歴史を紡いできました。
その美しい白砂青松の松原は高く評価され、昭和2年には日本百景に指定され、昭和15年には“名勝 高田松原”として国の指定文化財に登録されました。
景勝地として高く評価された背景には、様々な植物、貴重な野鳥、海の幼稚園といえるほどの種類の稚魚が成育していた、稀有な自然環境の恩恵があります。
平成25年に日本ジオパークとして認定されるまでに実に16もの指定を受けています。

高田松原は高田の人々の誇りでした。

陸前高田に住む人々とともに歴史を刻み、かけがえのない生活の一部となっていった高田松原。
夏には市内外からたくさんの人々が海水浴に訪れ、花火大会などもおこなわれました。
また、陸前高田を代表するスポーツ「ビーチバレー」の大会が開催されたり、シーカヤック、ジェットスキーなど様々なマリンスポーツが楽しめたりと、毎年多くの若者でにぎわいました。
秋から冬にかけては植物の紅葉や、雪が積もった松林が見れたりと、四季折々の表情を見せる高田松原は私たちを飽きさせることなく楽しませてくれました。
平成18年にはこの美しい松原を後世に残すための環境保全を中心に活動する「高田松原を守る会」が発足。
官民一体となった啓蒙、保全活動に利用者の期待が高まります。
画像提供:東海新報社

あの美しい松原をもう一度見たい。

2011年3月に発災した東北地方太平洋沖地震による津波で名勝高田松原は壊滅。
七万本の松のうち1本だけが奇跡的に残りました。
津波後、高田松原を守る会は、県や市、多くの支援者と連携しながら、復旧する高田松原に松苗や海浜植物などを移植し、高田松原の再生を目指し活動しています。
平成29年より松苗の植樹が本格的にスタートしましたが、松が元の高さまで育つには50年以上かかると言われています。
この活動を後世まで伝え、継続していくことは決して容易いことではありませんが
「あの美しい高田松原をもう一度見たい」
その想いでこれからも懸命に活動を続けてまいります。

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